芸術家としての行き詰まりを感じていた頃、「研究」という言葉に出会った。そして、オートエスノグラフィーという手法を知った。この手法との出会いは、美術作品制作において、初めて使用する素材を試す時と似ていた。
私は2014年に名古屋大学大学院に入学し、今年1月に修士論文を提出した。
この論文は、美術業界で成功した有名芸術家が書いたものではなく、決して有名ではない地方の芸術家が、現在までの自己について記述したことに意義があると考えている。芸術家である私は、オートエスノグラフィーという人類学の手法を用いて自己を分析し、記述したことで、芸術家として「書く」という行為の困難さを知るとともに、書くことでそれまで言語化されなかった多くの情報を得る機会となった。さらに、人間の根源にある普遍的な本能のひとつとして、美術表現の可能性に新たな興味をもつことになった。今後の研究において私は、芸術活動をする人間としての本能の根源を探るために、自らの芸術活動を通したオートエスノグラフィーを継続していきたいと考えている。
自己の制作概念を理論化し、言葉によって説明することが求められている現代美術業界において、現在の自分の立ち位置を理解しているということは、芸術家にとって非常に大事なことであり、それだけでも自分にとって意義があるものとなった。
「記述すること」を、日本で活動する多くの無名芸術家もしくは美術大学生たちに推薦したい。自己を客体化し、様々な文脈に基づいて分析、考察することで、自分の考えを整理することができるし、作品に対して明確な根拠を示すことが可能になるからである。一方で、芸術家が書く論文をアカデミックなものへ昇華させるためには相当の論理的思考を必要とする。その思考は、芸術作品を制作するものとは異質なものであるということを追記したい。しかし、芸術と科学は通ずるものがあると漠然とであるが感じている。
本論文は将来的に書籍化を意識して書いたものであり、現代を生きる芸術家のありのままの実態を伝えたいという思いから始まった。これを読むことで、当たり前ではあるが中島法晃の美術作品を鑑賞する際に深い理解の手助けになるであろう。また、社会一般においては、まだ世には出ていないが、全国各地で自己を追求しながら活動しているであろう、芸術家と重ね合わせて読むことで、多様な形で存在する芸術家に目を向けるひとつのきっかけとなれば幸いである。