作成者別アーカイブ: Houkou Nakashima

芸術家のオートエスノグラフィー「clas」

名古屋大学プロジェクトギャラリー「clas」で個展をします。

「芸術家のオートエスノグラフィー」
名古屋大学教養教育院プロジェクトギャラリー「clas」
名古屋市千種区不老町
6月6日(火)〜16日(金)
10:00〜18:00(最終日は17:00まで)
会期中無休、入場料無料、予約不要

http://www.ilas.nagoya-u.ac.jp/clas/

2014年に名大大学院に入学し、「研究」が何なのかもわからないまま勢いで修論を書いた。後期博士課程に進学し、あっという間に今年でD2。
人生の全部を研究対象としたことで、時代や文化に包摂された自己の思想、死生観、アイデンティティを見つめ直すことになった。
今回の個展では、幼児期の作品から、芸大時代の作品、新作2点の展示と、研究をまとめたパネル展示を行います。

11日(日)13時からパフォーマンスおよびギャラリートークを開催します。
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坊主と博士

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美術展覧会「坊主と博士」が終了した。
美術博士号を持つ彫刻家森田太初と、光輪寺僧侶であり美術家でもある私が新たな試みとして2016年に組んだ美術ユニット「坊主と博士」。
東京藝術大学彫刻科の先輩後輩にあたる2人が大学を出て、各々彫刻家および美術家として日々研鑽を積み、出会いから20年たった節目の今年に、お互いの持つ宇宙観や死生観をぶつけ合いながら、1人では持ち得なかった彫刻表現の可能性を探り出そうとする展覧会だ。

今後も己を追究していく。

Endless cycle of rebirth.

仏教によれば、人は迷いや苦しみの世界を生きているという。我々は常に何かを拠り所にし、痕跡を残しながら生きている。
円を描くように重なりあう様々な手は、私がこの世に生きているひとつの証を表わすものであるが、和紙はいつか朽ち、風化していくであろう。永遠への願いと、逃れられない無常の中にある「今」を我々は永遠に生き続けるのである。
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間の構造

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間の構造ー虚空をよみとるー
2月1日〜16日 小川敦生,中島法晃,安原成美
17日〜3月5日 尾形純,鮫島大輔,澤本幸子
場所:岩崎ミュージアム・ギャラリー
住所:横浜市中区山手町254
tel:045-623-2111

http://www.iwasaki.ac.jp/museum

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https://theta360.com/s/b6thMflJAgqjHUZgfQR7PdEQ8

美術がくれるもの

横浜市のFEI ART MUSEUM YOKOHAMAで開催していた展覧会「美術がくれるもの」展が終了した。
美術作家として活動しながら美術教育に携わっている作家たちの美術展。大学教授から小学校教諭まで、様々な肩書きが書かれていた。会場奥には、横浜市の小学校などの授業やワークショップなどで実践された子どもの作品も展示されていた。

現在自分は5つの学校、教室などで美術講師をしている。平日は毎日違う学校で、子どもや大人たちと美術を通して関わっている。
以前は制作資金を稼ぐためと割り切っていた美術講師業が、今は作家としての制作概念や活動スタンスに大きな影響を及ぼしている。自分の制作と同じぐらい、美術教育が大事だ。
いろんな葛藤はあるけど、葛藤があるなぁと言いながらも辞めることはきっとない。
この展覧会に出展していた作家さんたちも、自分と似たような認識を持っているように感じた。
そして再確認したことがある。
自分はやっぱり絶対にいつでもどこでも作家でいたいということ。そして、作家としてこれからも美術教育に関わっていくということ。
早く制作がしたい!

http://www.f-e-i.jp/exhibition/2632/

美術がくれるものフライヤー

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本願寺岐阜別院

2016年5月28,29日
浄土真宗本願寺派岐阜別院に、本願寺第25代専如門主をお迎えし、親鸞聖人750回大遠忌法要がおこなわれた。
27日には、記念行事として岐阜別院において宗門寺院の僧侶である者を代表してパフォーマンスをさせていただいた。
作家仲間や雅楽奏者の皆様とともに作り上げた作品は、浄土への祈りを表現するものとなった。
とても貴重で、尊い時間であった。

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個展

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祈り

恋愛

私は2011年頃から、和紙を使用した制作を始めた。岐阜の美濃和紙との出会いが影響している。
和紙はあたたかみがあり、柔らかく、脆さを内包しつつも、私にとっては力強さのようなものを感じ制作していた。
そして、月日とともに作品が風化していく様子が、私の死生観を満たしてくれていた。
2015年夏に渡仏し、ポートフォリオを片手に画廊を巡った。
そこで和紙作品画像をみた何軒かの画廊主人から、「保存はどうするの?ガラスケースに入れて展示しなさい。」という言葉を投げかけられた。
「作品を買う」ということは、「作品を保存する」ということなのかもしれない。
たしかに、私の作品が持つ「風化」という刹那性と、「保存」の概念は対極にあるように思う。
一方、油絵の具で描かれた作品は、劣化しつつも何百年も先の人々を喜ばせることができる。
初めてモナ・リザを観た時は、画面に塗られたその色彩の美しさに感動した。
今回、初めての試みとして、和紙に油絵の具を染み込ませたものを素材として造形した。
まるで生きながら自らでその歩みを止めてしまうような、そんな感覚に陥りながら、それでもこれらの作品がこの先どのように変化していくかが楽しみでもある。

芸術家のオートエスノグラフィー

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 芸術家としての行き詰まりを感じていた頃、「研究」という言葉に出会った。そして、オートエスノグラフィーという手法を知った。この手法との出会いは、美術作品制作において、初めて使用する素材を試す時と似ていた。
 私は2014年に名古屋大学大学院に入学し、今年1月に修士論文を提出した。
 この論文は、美術業界で成功した有名芸術家が書いたものではなく、決して有名ではない地方の芸術家が、現在までの自己について記述したことに意義があると考えている。芸術家である私は、オートエスノグラフィーという人類学の手法を用いて自己を分析し、記述したことで、芸術家として「書く」という行為の困難さを知るとともに、書くことでそれまで言語化されなかった多くの情報を得る機会となった。さらに、人間の根源にある普遍的な本能のひとつとして、美術表現の可能性に新たな興味をもつことになった。今後の研究において私は、芸術活動をする人間としての本能の根源を探るために、自らの芸術活動を通したオートエスノグラフィーを継続していきたいと考えている。
 自己の制作概念を理論化し、言葉によって説明することが求められている現代美術業界において、現在の自分の立ち位置を理解しているということは、芸術家にとって非常に大事なことであり、それだけでも自分にとって意義があるものとなった。
 「記述すること」を、日本で活動する多くの無名芸術家もしくは美術大学生たちに推薦したい。自己を客体化し、様々な文脈に基づいて分析、考察することで、自分の考えを整理することができるし、作品に対して明確な根拠を示すことが可能になるからである。一方で、芸術家が書く論文をアカデミックなものへ昇華させるためには相当の論理的思考を必要とする。その思考は、芸術作品を制作するものとは異質なものであるということを追記したい。しかし、芸術と科学は通ずるものがあると漠然とであるが感じている。

 本論文は将来的に書籍化を意識して書いたものであり、現代を生きる芸術家のありのままの実態を伝えたいという思いから始まった。これを読むことで、当たり前ではあるが中島法晃の美術作品を鑑賞する際に深い理解の手助けになるであろう。また、社会一般においては、まだ世には出ていないが、全国各地で自己を追求しながら活動しているであろう、芸術家と重ね合わせて読むことで、多様な形で存在する芸術家に目を向けるひとつのきっかけとなれば幸いである。